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仙台高等裁判所 昭和43年(う)332号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金二〇、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納しないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審および当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、被告人および弁護人樋口幸子、同小谷野三郎共同名義の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。

控訴趣意中事実誤認および同採証法則違反の論旨について

まず、原判決に採証法則の違反があるとの論旨について判断する。所論は原審が検察官請求の各証人の供述のみを採用し、弁護人請求の証人の供述を排斥したことを論難するのであるが、要はその供述の信用性の如何に帰するものであるからこの点について検討する。原判示第二の事実関係につき弁護人請求の原審証人高橋二郎、同大友円吉、同及川孝、同天野寿太郎および原審公判廷での被告人の供述によれば、被告人らは高橋定雄、大友重次郎、小野勝治、塩谷邦治に接触したことはあっても、その程度は軽く、防火壁等に押し付けたことはなく、右高橋定雄らが苦痛を感じるほどのものではなかったというのであるが、一方右高橋証人は、誰かわからないが防火壁に手をあげて、その手を上げる瞬間に塩谷がトンネルをくぐるような恰好で抜けて行ったという記憶がある旨、大友証人は、むしろ被告人は、防火壁に手をやって、あぶないから出て行くようにということで、自分の身体と扉の間に空間をつくって塩谷を出してやるというような形をとった旨それぞれ供述するほか、及川証人、天野証人および被告人も同旨の供述をしているのであるが、これらの供述部分は、塩谷邦治らを押し付けたことがないとする供述部分と矛盾するものといわなければならない。すなわち、ただ組合員と身体が接触する程度のことであれば、塩谷が病弱であったからといって、他から防火扉に手を支えてその下をくぐるようにされなくとも、たやすくその場を離脱することができた筈であって、このような外部的な力を借りてその場から脱出したということは、それ自体塩谷に対し加えられた有形力の大きさを物語るものといわなければならない。右のことは塩谷邦治の昭和三八年一二月三〇日付検察官調書の内容と対比すると明らかであって、原判示第二の事実関係についてその公訴事実の核心たる部分について右高橋証人らの供述には信用できない面がある。

そして右高橋証人らはいずれも被告人と同一組合に所属し、本件当時被告人と共に行動していたものであるが、原判示第一の各事実関係についても、これら証人はいずれも本件被告人の行為が存在しなかったとし、被告人の性格、平素の言動等からその可能性を否定する。しかし、本件打ちあて行為はいずれも一回限りのものであって、その時間は瞬間的のものであり、見逃し易いものであることを考えると、被告人の本件行為を見なかったからといってただちにその行為の存在を否定するに足りるものということはできない。

これに反し、原判決がかかげる各証人は直接被害にあい、あるいは当日上司の命令に従って被告人らの庁内デモ等に際して警備につき、違法行為があったときはこれを現認すべく、被告人らの行動をつぶさに確認していたものであって、その供述内容を検討しても大綱において相互に矛盾するところはなく、信用性を否定し得ないものと認められる。なお、小野勝治を除く証人の供述中原判示第一の行為当時被告人が電気メガホンを携帯していなかったとか、その記憶がないとかの部分があり、また小野証人が弁護人の反対尋問に対し、主尋問の供述に反し、右肩がぶつかったなどの供述もしているのであるが、メガホンについての右の認識、記憶の点をとらえて直ちにその供述全体の信用性を否定することはできず、何処がぶつかったかについては小野証人はその後の反対尋問に対し右肘が正しい旨訂正して供述しているのであって、右の程度の供述の動きをとらえて同証人の供述の信憑性を否定すべきいわれはない。

以上のとおりであって、原審が弁護人請求の証人の供述を排斥し、原判決にかかげる各証拠に信用性を認めこれを本件各事実の認定に供したことは相当であり、その間なんら違法は認められない。

次に事実誤認の論旨について判断すると、原判決にかかげる各証拠と原認定の各事実を逐一対比検討すると、これら事実はいずれもそこにかかげる証拠によって十分これを認定することができるのであって、≪証拠省略≫から判断すると、被告人が電気メガホンを左肩に吊るし、左手でこれを押さえ、マイクを右手に持ち、呼子を前に吊るしていても、原認定のように右肩を下げとびかかって、右肘あるいは上膊部を小野勝治らに打ちあてることが不可能ないし著しく困難であるとは認められないし、その際メガホンなどが被害者の身体の一部に接触しないことがあっても、特に不自然ではないと認められるのである。

また、被告人が防火扉に手を支え、押し付けられていた塩谷邦治を脱出させたとしても、右行為は犯罪成立後のものであって、本件犯行の成否にかかわるところはないと認められる。

以上のとおりであって、記録を調べ、当審における事実取調の結果を総合してみても原判決に事実の誤認や採証法則の違反があることは認められない。論旨はいずれも理由がない。

同法令解釈、適用の誤りの論旨について

一、公訴権濫用の主張について

所論はまず、原審は、事件の実体の判断に先立ち、公訴権濫用を理由とする公訴棄却に関し判断をなすべきであった旨主張する。しかし被告人、弁護人の公訴棄却の申立は、単に裁判所の職権発動を促すものに過ぎないのであるから、右申立が公訴権濫用を内容とするものであると否とを問わず、裁判所は独自の判断に従って直ちに実体について審理をすることができるものと解すべきであるばかりでなく、かりに所論の前提をとるとしても、原判決は、所論の主張する、捜査、起訴の過程において労働運動弾圧意図のあったことは認められない、としており、この判断が相当であることは後記のとおりであるから、弁護人らの公訴権濫用の主張に対する原審のこの措置は、何等違法を来すものでない。のみならず、公訴の提起について、労働運動に対する弾圧的意図があったとしても、憲法一四条の法の下の平等に違反するものとは解し得ないばかりでなく、公訴の提起が手続上適式になされている以上、裁判所としては、右意図を不当としてその実体審理を拒むことはできないものといわなければならない(最高裁判所昭和二四年(れ)第一八一九号同年一二月一〇日判決(刑集三巻一二号一九三三頁)なお仙台高等裁判所昭和四三年(う)第一八八号昭和四五年一一月三〇日判決参照)。さらに本件全資料を検討しても、本件公訴の提起が、正当な労働組合運動を弾圧する不当な意図をもったものであることは認められない。

いずれとするも、本件公訴権濫用の主張はとるを得ない。

二、正当な組合活動であるとの主張について

しかし、原認定の本件各行為は、いずれも人に対する直接的な暴力の行使であって、組合活動としての団結による示威の限界を越えたものというべく、これら行為が組合のデモないし座り込み等に際し行われたからといって、組合活動あるいは争議行為として評価することのできないことは明らかであり、所論引用の判例はいずれも本件と事実を異にし適切でなく、右と同旨にいでた原判決の判断は相当である。

三、可罰的違法性がないとの主張について

所論は原判決に事実誤認のあることを前提として、被告人の行為に暴行罪等の構成要件に該当する程度の実質的違法性はない旨主張するのであるが、原判決に事実の誤認のないことはすでに判断したとおりであり、所論はこの点においてすでに前提を欠くものであって、本件各行為につき可罰的違法性の理論を適用する余地はなく、これに実質的違法性があるとした原判決は相当である。

以上のとおりであって、原判決に法令の解釈適用の誤りのあることは認められない。論旨は理由がない。

同被告人の量刑不当の論旨について

所論は、被告人は無罪を確信していたところ、原審は懲役四月という重刑を被告人に科したというのであって、その趣旨は量刑不当をいうものと解される。そこで判断すると、原認定の本件各犯行の態様は、いずれも人に対する直接的な暴力の行使であるけれども、その結果傷害の発生も見ず、被告人には前科前歴もないのであって、本件直後塩谷邦治が病床に臥し、一〇ヶ月後死亡したのであるけれども被告人らの本件各行為との間に因果関係は認められないのであるから、量刑上この点を重視することは許されず、その他諸般の事情を総合して検討すると被告人に対しては罰金刑を以て臨むことが相当であると認められる。被告人を懲役四月(二年間執行猶予)に処した原審の量刑は重きに過ぎ不当であると認められ、この点において原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに判決をする。

原判決が適法に認定した各事実に対する法令の適用(一所為数法の点を含む)は、その記載のとおりであるからこれを引用し、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、刑法四五条前段、四八条二項を適用して被告人を罰金二〇、〇〇〇円に処し、労役場留置については同法一八条、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 阿部市郎右 大関隆夫 裁判長裁判官畠沢喜一は差支えのため署名押印することができない。裁判官 阿部市郎右)

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